新規顧客の獲得に多くのリソースを費やしている企業は少なくありません。しかし、持続的な事業成長をめざすうえでは、既存顧客の関係構築・維持こそが欠かせない要素になります。なぜなら、新規顧客を獲得するためのコストは、既存顧客を維持するためのコストと比べて5倍以上かかるとも言われているからです。また、既存顧客へのアップセルやクロスセルは成功率が非常に高く、新規顧客に提案するときよりも大きな成果を得られるケースが多く報告されています。たとえば、既存顧客への販売成功率が60~70%に達するのに対し、新規顧客では5~20%程度というデータもあります。
こうした背景を踏まえると、既存顧客との良好な関係を維持できない企業は、大きなアップセル機会を逃し、解約(離反)による損失も拡大してしまう可能性が高いと言えます。本記事では、既存顧客を大切に扱い、アップセル率を向上させながら解約率を低減するための具体的手法を紹介します。はじめに、既存顧客維持の重要性を示すデータや法則を振り返り、その後で実践的なアクションプラン(顧客とのコミュニケーションやセグメント別対応、休眠顧客の掘り起こし施策、カスタマーマーケティング戦略など)を解説します。長期にわたる安定成長のために、ぜひ自社の状況と照らし合わせながら読み進めてみてください。
多くの企業が新規顧客の獲得に力を入れていますが、既存顧客との関係を強固にすることによる利点は非常に大きいと考えられます。ここでは、なぜ既存顧客がこれほど重要なのか、主なポイントを整理してみましょう。
中小企業の61%が「売上の過半以上を既存顧客から得ている」と回答しているという調査もあり、既存顧客による安定収入が事業の土台になっている場合は珍しくありません。すでに取引実績のある顧客から継続的な受注が期待できれば、次期の売上予測も立てやすくなります。これにより企業は、新規開拓への投資バランスや新製品の開発計画をより明確に立案できるでしょう。
既存顧客への追加提案(アップセルやクロスセル)は、新規顧客への営業に比べ成功率が高いといわれています。ある調査では、既存顧客が新たな製品・サービスを試す確率は未取引の企業より50%以上高く、平均購入額も31%上回る、という結果が示されています。しかも、アップセルやクロスセルには広告費用や大規模な営業活動が新規営業と比べて低いため、費用対効果はさらに高まります。
新規顧客開拓をするには、広告投資や営業マンのアポイント獲得などのコストがかかりますが、既存顧客向けのマーケティングはこれらのコストが大幅に抑えられます。すでに信頼関係がある状態からアプローチを始められるので、効果も高いというメリットがあります。短期的な売上だけでなく、中長期的な利益率を高めるうえでも既存顧客は重要な存在といえるでしょう。
顧客満足度が高いほど、その顧客から別の部署や企業に製品やサービスが紹介される可能性が高まります。つまり、既存顧客が優良な紹介チャネルとなってくれるわけです。こうしたポジティブな口コミ効果は、広告宣伝以上の説得力を持つため、競合他社と差別化を図るうえでも大きな武器になります。実際、B2B企業のICON社では顧客体験向上を徹底した結果、売上の80%以上が既存顧客からのアップセル・クロスセルや紹介によるものとなっています。
このように、既存顧客との関係を築き維持することは顧客生涯価値(LTV)の向上や収益の安定に不可欠です。これらの利点を簡潔に示しているのが「1:5の法則」や「5:25の法則」といった経験則です。次に、それらが何を意味するのかを確認しましょう。
マーケティングや経営の文脈でしばしば聞かれる1:5の法則や5:25の法則は、既存顧客維持が企業にもたらす大きなメリットを端的に示しています。それぞれ、どのような点を指摘しているのかを確認してみましょう。
「新規顧客1人を獲得するコストが、既存顧客5人を維持するコストに相当する」とされる指標です。ハーバード・ビジネス・レビューやベイン・アンド・カンパニーの研究では、新規顧客開拓は既存顧客維持に比べ、5~25倍のコストがかかるという報告もあります。いずれにせよ、企業が新規顧客をゼロから育てるためには、かなりの投資が必要になるという点を示唆しています。
ハーバード・ビジネス・レビューやベイン・アンド・カンパニーの研究では「顧客のリテンション率(維持率)を5%高めると、利益が少なくとも25%伸びる」という経験則も発表しています。一部のケースでは、利益が95%まで増加することもあるといわれます。つまり、わずかな維持率の改善が企業の収益に大きく寄与し得るということです。たとえば、解約率を5%ほど改善しただけで、利益が一気に膨らむ例が多くの調査で示されています。
こうした統計的な裏づけからも、既存顧客を大切にすることがどれほど合理的か、あらためて認識できるのではないでしょうか。次章以降では、実際に企業がどのようにして既存顧客との関係を深め、アップセル・クロスセルにつなげるか、その具体策を見ていきます。
それでは、既存顧客との関係を強化して解約を防ぎ、アップセルやクロスセルを推進するための具体的なアプローチを順に紹介します。自社の状況に合わせて参考にしてください。
既存顧客を維持するための基本は、顧客満足度を高く保つことにあります。そのためには、製品やサービスの品質向上はもちろん、カスタマーサポートを充実させることが欠かせません。B2Bにおいては、導入後のサポートやアフターサービスが不十分だと、顧客の不満が蓄積されやすくなります。実際、顧客の39%が一度の悪い対応でその企業の利用をやめると報告されています。このような解約予備軍を生まないために、サポート体制の見直しが必要です。
具体的な施策としては、問い合わせに対して迅速かつ正確に対応すること、技術的な問題解決を手厚くサポートすること、定期的なメンテナンスや運用支援を提供することが挙げられます。顧客の業種やニーズに応じた細やかなサポートを行うことで、「この会社と長く付き合いたい」と思わせる信頼を築くことができます。また、サポート担当者が単に問題を解決するだけでなく、顧客の利用状況を把握し、先を見越して提案を行う「プロアクティブなサポート」を実践することで、顧客は自社を重要なパートナーと認識するでしょう。サポートの満足度を向上させることが、解約率を下げるための第一歩です。
良好な関係を保つためには、定期的なコミュニケーションが不可欠です。購入後に放置されていると感じた顧客は、競合他社に移行する可能性が高まります。そうした事態を避けるために、以下のような取り組みを考慮しましょう。
定期ビジネスレビュー(QBR: Quarterly Business Review)
四半期ごとなど定期的に、顧客とのビジネスレビューや打ち合わせの場を設けます。そこで利用状況の振り返りや成果の共有、課題のヒアリングを行いましょう。顧客に「常に伴走してくれている」と感じてもらうことが目的です。例えばB2Bポッドキャスト支援を行うSweet Fish Media社では、定期レビューを導入し顧客のベストプラクティスを一緒に検討する場を設けました。その結果、同社の月次解約率は15%から半年で約5%低減し、12ヶ月後には3%まで改善しています。定期的な対話と支援が、大幅な解約率低減につながった好例です。
専任のカスタマーサクセス担当の配置
大口顧客や重要度の高い顧客には、専任の担当者を割り当てるとよいでしょう。各顧客に合ったプロダクトやサービスの使い方を提案し利用促進を促すだけではなく、困ったときにすぐ相談できる体制があるだけでも、顧客は他社に乗り換えるハードルを高く感じるようになります。(参考ブログ:カスタマーサクセスはやめとけ?カスタマーサクセスマネージャー(CSM)の仕事の全貌を解説)
顧客向け情報発信
ニュースレターやメールマガジン、またはSNSなどを活用して、定期的に業界動向や自社製品の活用事例などを提供します。単なる広告ではなく、顧客に「これは役に立つ」と思ってもらえる情報を発信することで、エンゲージメントが維持・強化されます。
経営層との関係づくり
B2Bでは、担当者レベルでの良好な関係だけでなく、企業の経営層同士が交流しておくことが重要な場合があります。お互いのビジョン共有やトップ同士の信頼関係があれば、多少の不満があっても解約には至りにくくなるでしょう。
このように、計画的かつ継続的なコミュニケーションを通じて、常に顧客に寄り添う姿勢を示すことが重要です。「顧客との関係は、取引の終わりではなく、始まりである」という考え方で取り組みましょう。
既存顧客に対するアップセル(上位プランや追加購入の提案)やクロスセル(関連商品・サービスの提案)は、売上を伸ばす絶好の機会です。しかし、無計画な売り込みは関係を悪化させる可能性があります。効果的に行うためのポイントをしっかりと押さえておきましょう。
顧客関係に基づく信頼の活用
既存顧客はこちらを信頼しているからこそ話を聞いてくれます。その信頼を裏切らないよう、顧客の成功を第一に考えた提案であることを示しましょう。例えば、アップセル提案の前に現在利用中のサービスで成果が出ている点を共有し、「さらに成果を伸ばすための次の打ち手」として提案する流れが有効です。すでに築いた関係性があるからこそ、新規顧客に比べて提案を受け入れてもらいやすい土壌があります。
顧客のニーズとタイミングを的確に捉える
アップセルやクロスセルの提案は、顧客の利用状況やニーズを考慮して行うことが重要です。例えば、現在のプランで明らかに不足がある場合や、顧客のビジネスが拡大し、追加機能が必要になりそうなタイミングを狙います。顧客の利用データ(使用頻度、消費量、ログイン状況など)や購買履歴を監視し、適切なシグナルを見逃さないようにしましょう。「〇〇の機能を頻繁にご利用いただいているようですので、上位プランに切り替えることでさらに効率化が図れます」といった具体的な提案が効果的です。
価値訴求に重点を置く
アップセルを提案する際は、追加の費用ではなく、追加される価値に重点を置きます。「より高額なプランにしてください」と言うのではなく、「御社の課題Xを解決するためにプランYへのアップグレードが効果的です」と伝えます。クロスセルの場合も同様で、「現在ご利用の製品Aに加えて製品Bを導入すると、○○のプロセスが簡素化されるのでおすすめです」といった形で、顧客にとってのメリットを強調します。提案資料や営業トークでも、追加費用に見合うリターン(ROI)を具体的に示すことが重要です。
顧客の未来とリンクさせる
現在直面している課題を解決するだけでは、問題の後手に回ることになり、顧客の成功にはつながりません。そのため、数ヶ月後や1年後に発生し得る問題や不具合を事前に共有することが重要です。例えば、「現行プランでは問題ありませんが、チームメンバーが増加すると情報共有が円滑に行えなくなる可能性があります。その際には、大規模チーム向けの情報共有機能が充実したXXプランへのアップグレードを検討することで、問題が顕在化する前に対策を講じることができます。来年の更新時には、アップグレードを見越して予算を確保しておくことをお勧めします。」といった形で、将来の課題に対するアプローチを行うことが大切です。
事例や導入成果の活用
他社事例や具体的な導入成果を提示すると、顧客にとってのイメージが一層明確になります。「同業のYY社では、当社の追加モジュールでコストを××%削減できました」というように、客観的な数字があると検討材料としての説得力が上がります。
このように、綿密な準備と信頼関係を基にアップセルやクロスセルを行うことで、顧客は「自社の成功を考えて提案してくれている」と感じ、押し付けがましさを避けることができます。アップセルが成功すれば、顧客のLTVが向上し、解約リスクも低下します(満足度が高まるため)。顧客維持プログラムの結果、ロイヤル顧客(プロモーター層)の売上が他の顧客の2倍に伸びた例もあります。適切なアップセルは、顧客と自社の双方にとってWin-Winの関係をもたらします。
既存顧客の継続率向上において、顧客の声(VoC: Voice of the Customer)を反映させることは必須です。顧客の要望や不満をくみ取って改善したり、新たな機能追加につなげたりすることで、「自分たちの意見が尊重されている」と感じてもらえます。以下のポイントが有効です。
定期的な顧客満足度調査・NPS調査
顧客満足度(CSAT)やNPS(ネットプロモータースコア)を定期的に測定し、経時的な変化を把握します。アンケートやヒアリングを通じて、顧客が感じている満足点や不満点を明確にしましょう。調査結果は時間の経過とともに追跡し、悪化の兆候が見られた場合は迅速に対策を講じます。また、調査自体が「貴社の意見を大切にしています」というメッセージにもなります。
多様なフィードバックチャネル
定期調査以外にも、日常的に意見を拾う仕組みを作ります。例えばカスタマーサポート対応後の簡単なフィードバック依頼、顧客向けコミュニティサイトやユーザーフォーラムでの書き込み、定例会議での要望ヒアリングなどです。B2B CRM機能のHubSpot社では顧客が自由に意見交換できるオンラインコミュニティ「HubSpotコミュニティ」を設け、製品に関する要望やアイデアを自由に投稿したり、他の投稿に「いいね!」を押して賛同する機能を提供しています。このように透明性の高い姿勢は顧客との信頼構築につながります。
対応策のオープン化・クローズドループ
寄せられたフィードバックに対して、どう対処したかを顧客に伝える「クローズドループ・フィードバック」を徹底します。具体的な対応内容や改善計画を知らせることで、顧客のロイヤリティが高まります。
顧客からのフィードバックは改善の源泉であり、エンゲージメントを強化する絶好の機会でもあります。「意見を収集→改善を実施→結果を報告」というサイクルを絶え間なく回すことで、顧客は貴社の製品やサービスに対する愛着を深め、多少の不満があっても離れにくくなります。顧客の声を経営に反映させる企業文化を育てましょう。
長期間にわたって取引を続け、御社に対して強い信頼を寄せている既存顧客は、まさに貴重な存在です。こうしたロイヤルカスタマー(優良顧客)に対する報奨策や、彼らの力を活用する施策を検討することが重要です。
ロイヤリティプログラムや特典
B2Cのようなポイント制度まではいかなくとも、長期顧客・大量購入顧客に対して特別な待遇を用意します。例えば、購入金額や利用年数に応じた割引制度や優先サポート、新製品の先行案内、年次イベントへのVIP招待などです。B2Bでも会員制のユーザープログラムを持つ企業は増えており、たとえばAdobe社は主要顧客向けに専用のトレーニングやマーケティング協力を行うプログラムを提供しています。特別扱いされていると感じた顧客はロイヤリティを一層高め、競合からの誘いにも乗りにくくなります。
顧客事例の紹介・表彰
ロイヤルカスタマーの成功事例を自社のマーケティングに取り上げることも有効です。例えば、自社ウェブサイトやイベントで顧客企業の成功ストーリーを紹介したり、ユーザー会で表彰したりします。顧客側にとって自社の取り組みを広くPRできるメリットがあり、関係もより強固になります。また他の顧客にとっても、有効な活用例として参考になり、御社製品への信頼向上につながるでしょう。また成功事例を表彰することも有効です。カスタマーサクセスプラットフォームを提供するGainsight社では、GameChanger Awardと表して自社プロダクトの活用を大体的に表彰し顧客のロイヤリティを向上させています。
アンバサダー化
満足度の高い顧客は、そのまま自社の「アンバサダー」になってくれる可能性があります。紹介プログラムや事例紹介の協力依頼を通じて、新規顧客獲得にも貢献してもらえるかもしれません。ロイヤルカスタマーが積極的に外部へ発信してくれることで、紹介による新規獲得が促進されます。
ロイヤルカスタマーはビジネスにおいて最も重要な資産です。彼らを優遇しさらなる成功へと導くことで、長期的な収益源を確保し、信頼のネットワークを拡大することが可能です。また、新たなロイヤルカスタマー候補を着実に育成することが、顧客基盤全体の強化に寄与します。
既存顧客を維持するための取り組みは、契約期間中だけでなく、導入直後から始めることが重要です。B2Bの分野では、初期導入時(オンボーディング)の体験が、その後の利用継続に大きな影響を及ぼします。Baremetrics社のデータによれば、SaaSスタートアップでは新規顧客の10-15%が契約初年度に解約するとされており、オンボーディング時に製品の価値を感じられなかった顧客は、最初の90日間で離脱するリスクが急増するとのことです。契約更新時の離脱を防ぐため、以下のような対策を講じることが求められます。
オンボーディング専門チームの配置
新規契約後、顧客が製品やサービスを十分に活用し成果を上げられるように支援するための専門チーム(カスタマーサクセスチーム)の中でも初期導入支援に特化したオンボーディングチームを設定します。。このチームは、導入計画の策定、初期設定のサポート、ユーザー教育、初期段階での課題解決を綿密にフォローし、顧客がスムーズに立ち上げられるように導きます。充実したオンボーディングを提供することで、「導入したのに使いこなせない」という理由での顧客離れを防ぐことができます。
初期成功体験を意識する
人は初めての成功体験によって、その後のやる気が大きく変わります。契約後、できるだけ早い段階で顧客が自社サービスの価値を実感できるように、マイルストーンを設定して達成を促します。例えば、ソフトウェア導入の場合、「初月に主要機能を○○件活用し、工数を△時間削減できた」といった小さな成功事例を共に作り上げます。早期に成功体験をしてもらうことが目的であり、最初の成功は大きくなくても問題ありません。この成功体験が顧客の自信と信頼を築き、継続利用への意欲を高めます。
継続的なトレーニングとアップデート情報の共有
オンボーディングが完了した後も、顧客がサービスを最大限に活用できるよう、定期的にトレーニングの機会を設けたり、最新情報を提供したりします。ウェビナーを通じて新機能の使い方を紹介したり、製品がアップデートされた際には詳細な解説資料を提供したりします。顧客担当者が異動した場合には、再度トレーニングを行い、サービスの利用が途切れないように配慮しましょう。継続的に顧客のスキルや知識を向上させることで、サービスの価値を高め、解約の理由を作らせない工夫が可能です。
ヘルススコアのモニタリング
SaaS企業などでよく活用される方法として、顧客ごとの健康状態(ヘルススコア)を数値化して把握することが効果的です。ログイン頻度、利用機能の数、サポートへの問い合わせ回数、NPSスコアなどの複数の指標を用いて、「この顧客は活用が進んでいるか/滞っているか」「離反リスクが高まっているか」といった兆候を見つけ出します。ヘルススコアが悪化している顧客には、早期に追加支援や解決策を提供し、満足度を回復させます。データに基づいた積極的なケアで、解約のリスクを未然に防ぎます。
このように、顧客のライフサイクル全体を通じて継続的に価値を提供することが、長期的な関係を維持するためには不可欠です。導入直後から日々のサポートや定期的なトレーニング、課題解決に至るまで一貫してサポートを行うことで、顧客は御社を自社の成功に欠かせないパートナーとして認識するようになるでしょう。
すべての顧客に同じ100%の対応ができることが理想ですが、ほとんど場合はリソースが足りず実現できません。事業を成長させるために顧客セグメントごとに適切なアプローチを取ることが重要です。顧客は企業の規模や業種、契約プラン、利用状況などによってニーズや期待が異なります。自社の顧客をセグメントに分け、それぞれに最適化された施策を考えてみましょう。
顧客規模・価値ベースのセグメント
まず、売上への貢献度や将来の可能性に基づいて顧客を分類します。前述のパレートの法則にあるように、全顧客の上位20%が売上の大部分を占めることが多いです。このような高価値顧客(大口顧客)には、専任チームや経営層の関与を含めた手厚いハイタッチ対応を行います。一方で、取引額が小さい多数のロータッチ顧客には、コスト効率を考慮し、オンラインサポートやグループウェビナーなどで効率的に対応します。例えば、大企業の顧客には月次レビュー会を実施し、中堅企業には四半期ごと、小規模顧客には年次サーベイと必要時のサポートを行うなど、差別化を図ります。それぞれのセグメントで期待されるサービスレベルを定義し、リソースを最適に配分しましょう。
製品利用のアクティビティベースのセグメント
複数の製品ラインナップがある場合、現在使用している製品や機能セットに基づいて顧客を分類する方法もあります。各製品には特有の課題や拡張のチャンスがあるため、製品ごとに顧客とのコミュニケーション戦略を策定します。また、顧客の行動特性(例: サポートへの問い合わせが多い顧客、ログインが非常に少ない顧客など)に基づいてセグメント化し、必要に応じて追加のトレーニングや利用促進策を実施します。例えば、利用が進んでいない顧客には個別トレーニングを提案し、積極的に利用している顧客には上位プランへのアップセル候補として注目する、といった方法です。
ライフサイクルベースのセグメント
顧客をライフサイクルの視点で分類することも効果的です。新規導入直後のオンボーディング中の顧客、利用が安定している顧客、利用頻度が低下し離反の兆候が見られる顧客、そして一度離れた休眠顧客など、各段階に応じて異なるアプローチを取ります。オンボーディング中の顧客には集中的なサポートを提供し、安定した顧客には定期的な価値提供とアップセルの提案を行います。離反リスクのある顧客には、早期警戒シグナルに基づいた対策を講じます。休眠顧客への対応については後の章で詳しく説明します。各ステージに適した関与方法を設計し、顧客の状況に応じた対応を心がけましょう。
業種・地域ベースのセグメント
顧客が属する業界や地域によって、求められるニーズは異なります。例えば、製造業の顧客は現場でのサポートを重視することがある一方で、IT企業の顧客は技術ドキュメントの充実を求めるかもしれません。業種ごとのユースケースや課題を調査し、その業界に特化したベストプラクティス資料を提供したり、同業種の他社事例を紹介することで、「自分たちのことをよく理解している」と感じてもらうことができます。重要な業種に関しては、特化したユーザーグループ(分科会)を開催することもあります。また、海外戦略において地域によって言語や商習慣が異なる場合には、ローカライズされたサポートや現地パートナーとの協力を検討することも重要です。
このように、セグメントごとの戦略を採用することで、限られた経営資源を効率的に活用できます。重要な顧客には十分な手間をかけ、その他の顧客には拡張性のある支援策を提供することで、全体の最適化を図ることが可能です。また、各セグメントの顧客満足度を定期的に監視し、アプローチの適切性を検証・調整することが重要です。
どんなに気を配っていても、取引が途絶えてしまった休眠顧客(以前取引があったが現在は離れている顧客や、長期間購買がない顧客)が出てくることは避けられません。しかし、休眠顧客を放置するのは大きな機会損失です。一度でも取引のあった顧客は、まったく接点のない新規見込み客よりも再アプローチの成功率が高いからです。事実、マッキンゼー・アンド・カンパニー社のレポートによると反応しなくなった既存顧客を再活性化する方が、新規顧客を獲得するよりも3~10倍も低コストであるという調査結果もあります。休眠顧客の掘り起こしに取り組む価値は十分にあるのです。
「お久しぶりです」キャンペーン
取引や連絡が長らく途絶えている顧客には、メールや手紙で「ご無沙汰しております」と挨拶しつつ、近況を伺う連絡を行います。ただの挨拶にとどまらず、最近の自社サービスの進化や新製品情報を簡潔に伝え、「○○様に役立つ新機能が追加されました」と興味を引く内容を含めます。さらに、期間限定の特別オファー(再契約時の割引や追加特典)を提案し、復帰を促します。「以前の契約内容に〇〇を追加してご提供しますので、ぜひまたご一緒できれば幸いです」といった丁寧で前向きなトーンで呼びかけましょう。
パーソナライズドアプローチ
休眠顧客が離れた理由は多岐にわたります。そのため、可能であれば各社の状況を個別に分析し、カスタマイズされた提案を準備します。例えば、「以前ご要望いただいたXX機能を改善しました」や「前回の価格に関する課題に対して新しいプランを用意しました」といった形で、過去のやり取りを基に「今回は以前よりも改善されています」というメッセージを伝えます。顧客が離れた原因を解消するためのアップデートや解決策がある場合は、それを強調しましょう。
直接のお話する場を設定
可能であれば休眠顧客に直接連絡を取り、意見を伺う機会を設けましょう。「以前のご利用時に何かご不満がありましたか?」と率直に尋ね、フィードバックを得ることが大切です。ネガティブな意見を聞く場になることが多いため、既存顧客担当者はこの場を設けるのを避けがちですが、すぐに契約が復活しなくても、率直な意見は今後の改善に役立ちますし、誠実に話を聞くことで関係が修復される可能性もありますので、ぜひ試してみてください。また、過去の担当者ではなく、新しいメンバーや上司が訪問することで、新たな提案が可能であることを印象付けるのも一つの方法です。
価値提供型の再アプローチ
「ただ『戻ってきてください』とお願いするのではなく、有益な情報を提供することで再び接点を持つ戦略です。例えば、休眠顧客に対して業界の最新レポートやノウハウ資料を提供したり、ウェビナーに招待したりします。『以前お世話になったA社にとって有益だと思いご連絡しました』という形で接触し、徐々に対話を深めていきます。あくまでも先方にとって価値のある情報を提供することに重きを置いてください。相手に『売り込みではなく、価値を提供してくれている』と感じてもらえれば、警戒心が和らぎ、話を聞いてもらいやすくなります。
SNS・別チャネルの活用
連絡が取れない休眠顧客には、関係のある担当者を通じてLinkedInなどのビジネスSNSを活用してアプローチする方法もあります。「最近XXの分野で新しいサービスを開始しました」といったメッセージを送ることで、カジュアルな接触を通じて会話のきっかけを作ります。ただし、SNSでのビジネス的な会話を好まない方もいるため、最初から気軽に話せる関係を築くことが重要です。
最後に、顧客生涯価値(LTV: Lifetime Value)を最大化する観点から、既存顧客向けのマーケティング戦略を考察してみましょう。LTVの最大化とは、既存顧客一社あたりから得られる総売上を増やすことを意味します。つまり、既存顧客に長期間契約を継続してもらい、結果的により多くの購入をしてもらう目的です。そのためのマーケティング手法をいくつか紹介します。
クロスセルキャンペーン
既存顧客に対して、自社の関連製品やサービスを提案するクロスセルキャンペーンを定期的に実施します。ただし、無差別に全顧客へメールを送るのではなく、上記で分けたセグメントや購買履歴に基づいてパーソナライズされたオファーを設計します。例えば、製品Aを購入した顧客には相性の良い製品Bを割引価格で案内したり、クラウドサービスの利用量が一定以上の顧客には追加ストレージを期間限定で提供する、といった方法です。過去の購買データに基づくレコメンデーションは成功率が高く、アップセルやクロスセルによる売上拡大に寄与します。
アップセルメールとリマーケティング
サブスクリプション型ビジネスでは、契約更新前に上位プランへのアップセルメールを送信します。その際、現在のプランでの不足点や上位プランのメリットを具体的に示すことが重要です。また、ウェブサイトの訪問履歴や製品ページの閲覧データを活用し、既存顧客に対してリターゲティング広告を展開し、興味を持った他の製品を訴求することも効果的です。例えば、特定の機能拡張ページを閲覧した顧客に、その機能を含むプランの広告を配信する方法です。既存顧客はブランドに対する認知があるため、新規顧客よりも広告への反応率が高いと期待できます。
カスタマーサクセス事例の共有
既存顧客向けのマーケティングでは、「このように使うとさらに効果的です」「他社はこの方法で成功しました」といった情報の提供が重要です。定期的にカスタマーケーススタディや成功事例のウェビナーを開催し、他の顧客の成功体験を共有しましょう。これにより、顧客が気づいていない製品の活用方法や追加導入のメリットに気づいてもらうことを目指します。例えば、「○○業界のA社は当社の製品を最大限に活用し、年間コストを20%削減しました」といった情報は、自社でも追加導入することで同様のメリットが得られるのではないかと考えるきっかけになります。既存顧客に新たな発見を促し、潜在的な需要を引き出すマーケティングがLTVの向上に貢献します。
ロイヤリティプログラムの導入
前述のロイヤルカスタマー優遇策の一環ですが、ポイント制度や会員ランク制度などロイヤルティプログラムを通じて既存顧客の購買意欲を高める方法もあります。例えば累計購入額に応じてランクを設定し、ランクが上がるほど割引率やサービス内容が良くなる仕組みにすれば、「どうせならもう少し購入して上のランクになろう」という心理を刺激できます。例えばオフィス用品販売のアスクルでは、累計購入額に応じた「アスクルスイートポイント」サービスを行っており、獲得したポイントで別の商品を購入することが可能なプログラムを実施しています。
顧客紹介(リファラル)プログラム
顧客の紹介によって新規顧客を獲得できれば、低コストで質の高いリードを得ることが可能です。紹介による獲得は直接LTVの計算に含まれないかもしれませんが、既存顧客1社がもたらす価値(顧客自身の売上+紹介経由の売上)を考慮すると無視できません。紹介プログラムを整備し、紹介が成約した際にはインセンティブ(例えば次回利用料のX%オフやギフト券の進呈など)を提供しましょう。紹介してくれた顧客には感謝の意を示し、今後も優良顧客として厚遇することで、ロイヤリティをさらに高めることができます。
契約更新・継続キャンペーン
サブスクリプションビジネスにおいては、契約更新時に特典を提供することが効果的です。例えば、「1年更新で○ヶ月分無料」や「現在○%割引で更新可能」といったキャンペーンを実施し、継続率を向上させます。サービスに満足していることが前提ですが、少しの後押しで更新を決断してもらえる場合もあります。ただし、値引きに依存しすぎると「更新のたびに値引きされるサービス」と印象付けてしまうことがあるため、基本的には提供価値の向上で勝負し、キャンペーンは補助的な役割にとどめるべきです。
これらのカスタマーマーケティング施策を組み合わせることで、既存顧客一社あたりの価値を最大化していきます。特にSaaS企業では、ネット・リテンション率(NRR: Net Revenue Retention)といった指標を用いて、既存顧客からの収益維持・拡大を重視する動きが広がっています。NRRが100%を超える企業は、既存顧客からの減収をアップセルによる増収が上回るため、急成長を遂げやすいとされています。実際、顧客維持とアップセルに優れた企業は、既存顧客からの売上だけで前年を上回る成長を実現することも可能です。ここで紹介した戦略を活用し、貴社も既存顧客のLTV最大化に取り組んでみてください。
既存顧客との関係を築き、維持することは、B2Bビジネスの持続的成長において不可欠です。多くの調査が示すように、新規顧客を開拓するよりも、既存顧客を維持する方がはるかに低コストで高い利益をもたらします。既存顧客の満足度を向上させ、長期的な取引を続けることで、安定した収益基盤を築くだけでなく、アップセルやクロスセルによる売上拡大、さらには紹介による新規顧客獲得といった好循環を生み出すことができます。
本記事では、顧客満足度の向上策、定期的なコミュニケーション、フィードバックの活用、セグメント別戦略、休眠顧客の再活性化、LTV最大化のマーケティングなど、幅広い施策を紹介しました。これらの施策の根底にあるのは、「顧客志向を徹底し、顧客の成功にコミットする」という姿勢です。顧客との関係を単なる取引ではなくパートナーシップと捉え、真摯に向き合うことで、その想いは必ず顧客に伝わります。
まずは自社の既存顧客について、現状の満足度や解約率、アップセル率を計測・分析してみましょう。そして、本記事で取り上げた施策の中から実行可能なものを選び、計画を立ててください。小さな改善の積み重ねが、5:25の法則が示す大きな成果につながります。既存顧客を大切に育てることが、結果的に御社の事業を力強く押し上げる原動力となるのです。
顧客との長期的な信頼関係を築き、“一生顧客”を増やしていきましょう。それこそが、激しい市場競争を勝ち抜くB2B企業にとって最大の武器となるはずです。そして、既存顧客を通じて得られた安定基盤の上に新規顧客を積み上げることで、持続的で強固なビジネス成長を実現していきましょう。